名言
1.夢は逃げない
逃げるのはいつも自分だ
2.大好きな人の為に生き
大好きな人のために死ぬ
3.どんなに辛いことがあっても
苦しい時も
必ず、全てに意味がある
この苦しみは、この不運は、この痛みは
この理不尽は、この絶望は・・・・
必ず、俺に何かを伝えようとしている
4.夢は逃げない
逃げるのはいつも自分だ
5.人を愛するということは
その人の人生を知るということ
6.人生楽しんだ奴が最強
7.根拠のない自信でつっぱしれ!
8.ただ、毎日の暮らしの中で
「自分が美しいと思う行い」を
積み重ねていけばいいさ
9.自分はどうしたいか
本当は、すべて知っているだろう?
10.必要なのは勇気ではなく、覚悟
決めてしまえば、すべては動き始める
談話室アトモスフィア☕️
癒し空間であり、僕の安定。
ここで出会った人達が今の僕の宝。
通い始めてもうすぐ2年。
すいも甘いもここのマスターは知っているし聞いてくれている。
不定休という名の無休のカフェ☕️
付近に住んでいる頃は毎日のように通っては一生懸命自分自身を見つめ癒してきた。
マスターとお客様に感謝。
ここがなかったら今の僕はいないし、いたとしても今のような人格ではないと思う。
ありがとう アトモ
2018年 ですが何か?。。。
2018年
先日『もっと自分の幸せを探した方がいいよ。』と言われたとさ。
確かに当たっていると思うん。ごくごく最近の僕には。
と、いうことは、免許皆伝か、、、??
一人になって自分に何が足りないのか色々気づくことがあって、
それまでの自分には一切、一切関係がない、ましてや否定すらしていた目に見えない
世界を信じている人達との出会いが僕の心を間違いなく大掃除してくれた。
自我を見せつけ『すげーだろー』って周囲に見せつけて、一人ぼっち上等じゃスタイ
ル だった過去の僕。ろくに強いわけでもないのに。偉そうに。
今思えば幼稚でかわいそうな人間だなとつくづく思う。
見えないものについて真剣な人達だと思ってたけど、『あ、これって、心のあり方
について真剣なんだ。』と解釈す方が僕にとって自然だった。
そのお陰もあって、『優しさ・受け入れ・感謝』 のキーワードがひょこっと出てき
た。
この3つの中で一番欠けてるのが 受け入れ だった。
優しさや感謝は結果。 何か認めるものがあるから優しくできるし、感謝もできる。
受け入れることが出来るようになったんだ。なぜ今ごろ と思うけど仕方ないよね。
『なんでそこまでしてあげれるの?』と言われたこともあるけど、きっと自然に受け
入れる自分になるための訓練だったんだと今思う。人の為なのも確かに事実なんだけ
ど、受け入れられる自分を模索していたのかもしれない。
次のパートナーはしっかり受け入れてあげようって。だってパートナーなんだ。
これからの人生で一番身も心も身近な人なんだから。相手の人格なんて変えようなん
てできない。うん、できないよ。 お互い受け入れてあげて感謝しなきゃ。
そんな心を忘れずに2018年をはじめよう。
整理4
面会もなくなってから半年、僕は近所にある一軒の喫茶店へ行った。
入るとメガネをかけた男性マスターが『あ、いらっしゃいませ。お好きなお席にどうぞ。』と案内された。
一番奥の角に座っているマスターと一番距離のある入り口付近へ座り、チーズケーキセットを食べた。昼間からスーツの男性がケーキセットを頼むんだもん、へんだよね。
当時僕は仕事以外で誰とも話ししたくなくて、、かといって家に帰ると思い出す。実家になんて帰理たくなく。本当にひとりぼっちになりたかった、、、いや、一人だった。 涙が出るほど落ち着くこの空間がここ地よく、帰りしなに『またきてもいいですか?』と訪ねて店をあとにした。
そのカフェが 談話室アトモスフィア であり現在の僕の行きつけの安定の場所となる。
文字にすればこんな感じだけど、本当に切り替えるまで時間がかかる
『時薬』とはよくいったものである
今年も残りわずかとなった。
2016年は心の痛みを感じ、2017年は心の痛みを癒し希望を見出し、2018年はと、、、、うん希望に満ちた年にしよう。
整理 3
整理シリーズはこれで最後にしよう
だって今年も残りわずかだから、整理は今年のうちに終わらせたい。
『提出させていただきましたから✉️』まさかとおもって迎えた翌日の9時、一本の電話が。
市役所市民課からの離婚成立後における子ども手当受け取り名義の変更確認だった。
本当だったんだ。本当だったんだ、、、。その場で崩れ落ちた。ドラマのようなあの姿勢で崩れ落ちた。 すぐに電話したけど、もう向こうの離婚及びその後の処理へ対する思いがひしひしと伝わってきた。
家に戻った時に机の上に一冊の冊子が。
甲は乙に対して、、、、、、、。全て元妻の思うがまま。 でも、その時思ったのは、長女も生まれ大変な時に、争うのは嫌だ。なんで別れなきゃいけないの。俺が何したっていうの。なぁ、なぁ、答えてくれよ。頼むよ。
それから車と財産と親権及び養育費一人4万円×2人 が離婚成立条件だった。僕はその時まだ信じれてなかった。向こうは白紙委任状まで置いて、、、。記載場所に可愛らしい字で「捺印はいらないからね」だってさ。
仕事はますます忙しくなるばかりだったけど、幼稚園児や公園や幼稚園バスを見るといつも号泣。 なんで俺はこんな目に。なんでだ。なんで。。
今思えば僕が元妻にしてきた言動行動を考えると当然の報いなのかもしれない。
暴力、浮気、ギャンブル、借金は一切ない。ただ、タバコをやめたと嘘をついてた。
でも、元妻からすれば、僕といること自体が不安でだったんだ。僕が元妻をしっかり愛してあげていなかったんだ。寂しい思いをさせてしまったんだと思う。どんな性格だろうと自分の妻なんだもん。なんで認めてあげなかったんだろうと。
月一の面会は決まって15分程度で近所のおばさんが付き添っていた。どんな目的なのか未だになぞであるが、きっと早く面会を諦めさせるための手法なのか、又は離婚理由を夫の暴力だとして成立させているのか。
面会がはじまり一年経過した2016年4月 いつものようにショッピングモールの室内ベンチで息子から『もう会いたくない 遊びたくない』とカタコトのように言われ、僕の後ろで元妻『それが本当の答えだと思うよ』と告げられた。
あんなにパパっ子だった息子の目がとても寂しそうに見えた。 最後の最後のまで息子はこっちを向いて店をでていった。
整理 その2
連日投稿もなんのその。
この際だから自分の出来事を整理しとこ。うん。
だってもう次の幸せをしっかり見ようと決意してるから。
blogでの吐き出し方も案外いいかも。でも過去を文字化すると思い出して逆に沈みそう。。。 ほどほどにしよう。
離婚届に捺印した理由
長女が生まれてもずっと実家にいたからいつまで一人で暮らすんだろうって、もう我慢の限界だった。
もうイライラの最高潮。今考えれば自分の 産後の妻のいたわり より自分が可愛かったとしか思えない。
もうお互いが言いたい放題で収集付かず。売り言葉に買い言葉の大感謝祭SALE。
『ほんなら用紙持って来いや‼️』
「はい 押してよ」
『申し訳ございませんでした。言い過ぎました。』
「納得いきません。押して下さい。」。。。もう決めてたんだよな。。
別れるために押したわけじゃない。押さなきゃ一緒に暮らさないって聞かないから。
でも、それ以前に僕の自分勝手な行動と言動が招いたのと元妻のこれまた自分勝手と産後の疲労がかみ合ってた。。。なんで優しくできなかったのかな。
その半年後 元妻から一言メールが 📩【提出させていただきました。】
その同じ日会社から📩【チーフに任命する】
やっと不自由ない生活をさせてあげられると決まった日 僕は離婚したんだ。不自由な生活にさせてしまったんだ。
今思えば理不尽なことされたと思うけど、当時は何が何だか理解できなくて、でも子育てしてる元妻のしんどさも知ってたから、裁判なんてしたくなかった。かわいそうな気がした。
整理
『あれ? 離婚して何年 ?』ふと公正証書を取りだす。
2年と6ヶ月か。。。。
この公正証書も元妻が全て作った。 そうさ、押印したさ。
ふとした喧嘩で『そんなことまで言うなら押してやらぁ‼️』
と、離婚届のコピーに押印した。コピーだし、他に何も記載されてなくて、油断したね。
元妻がバツイチだった事忘れてた。向こう的には経験済みだったんだよな。。。
段取りいい訳だ。 二人目の子が生まれ、一人目と同じように妻の実家に帰省させてた。
昔は口が悪くて典型的のスポ根男児。追い討ちかけるように東京の本社で特殊業務部隊にいた。上司は元レンジャーで後輩は元特殊作戦軍?とかいうヤツ。そんな環境で毎日が必死だったのは事実。ただのサラリーマンしかした事なかったのに。
どこでブレたんだろう。どこで気づかなくなったんだろう。。。
東京勤務をきっかけに2009年結婚した。2年後に長男妊娠。仕事内容は秘密が多くて元妻には言えなかったけどやる気満々。実家に戻らせて東京一人暮らし。だだっ広くなった築30年の2LDK家賃85000円 都内まで電車で1時間20分の郊外。 女性が恋しくなる時もあったけど、浮気する気なんて起きない。ただただ早く一緒に暮らしたかった。
忘れられない3.11東日本大震災。都心のガソリンもカップラーメンも制限され都内一体にセシウム問題で水もろくに飲めない。地域の計画停電。
『☎️今は戻ってこない方がいい‼️』 仕事で被災地へ。頭が狂いそうな状況が毎日毎日。でもこんな自分が少しでも役に立てるならと。泣いても泣いても泣き足りない現実。
その頃から染まってたんだ。〇〇であるべき人間 に。今思えばバカみたい。ウケる程バカ。
その間ずっと離れて暮らすことへ疑問がおこり意を決して退職願いを出した。上司が掛け合ってくれて今の会社で地元へ戻れることになった。
やっと帰れた。やっと。
でも染まりきった人格はそんな簡単には戻らない。地元の支社でも『本社にいたんだろ?じゃあできるよな。』はいはい やっかみ ですか、あなたよりこの地元の事知ってますけど。と腹の中で。 絶対見返してやると夜中まで働き続けてた。家族サービスは休みの時だけと勝手に決めて。
そこで授かった長女。出産立会いすらせずひたすら仕事仕事。今回も向こうの実家でいいよねと、これまたバカ。
【 俺は仕事頑張って少しでもいい給料をもらうよ、だから君は子育て頼んだぞ!】
大馬鹿たれか。何が頼んだぞ だ。しかも当時は綺麗にまとまった考えだと真剣に思ってたんだもん 救いようがないよ。
確かに休みの日には向こうの実家に行って子供と遊んだり家の力仕事をしてたんだけど、決まって絵本の読み聞かせで語る自分が寝ちゃって息子に突っ込まれるっていう。。。ごめんなさい。
プライドが邪魔して家に帰っても相変わらずオラオラ系。会社でもオラオラ系。何もかも自分で背負ってるという意味不明なプライド。
。。。その前からずーーっと考えてたんだよな。。。